Sunday, July 8, 2018

魔法の乗り物:大型二輪 / Magical Vehicle: Large Motorcycle

大型二輪バイクは魔法の乗り物だ。ただ「跨る」という行為をするだけで、これほどテンションが瞬時に上がる乗り物は他にない。その感覚の大部分はこの乗り物の重量に起因していると推察する。操作を間違えると容易に転倒し、非力であってはもとの位置に起こすことすらままならないこの大きな鉄の塊は、それを御するものにレスペクトと統率力を要求する。そこにある種の緊張感が生まれる。その緊張感に肌が粟立つのかも知れない。

大型二輪バイクをめぐる興奮は、エンジンをかけるとさらに高まる。走行していない大型二輪バイクのアイドリング音は静かで野太い。車種にもよるだろうが、少なくとも私のKawasaki Vulcan S 650はそうだ。それは本気を出せば216㌔バーベルをスナッチで一気に持ち上げることのできる重量挙げの世界記録保持者の寝息を髣髴とさせる。絶大な安心感と畏敬の入り混じった不思議な感覚を跨るものに抱かせる。

大型二輪バイクをめぐる興奮は、実際の走行時に頂点に達する。地点Aから地点Bにただ移動するという単純極まりない行為が、乗る者に瞬時の快感をもたらす仕組みは「不思議」という言葉をおいて他に表現することはできない。自動車ではいまひとつ叶え難いこの興奮を、大型二輪バイクはいかにして実現するのだろうか?

私はそれが、「人車一体」と「自然と一体」という二つの理由によって実現していると考えている。自動車も一見人車一体には見えるが、バイクのような一体感はない。例えば、左にハンドルを切れば、右に体がふられる。人車バラバラだ。自動車の場合、運転操作を誤っても乗り物自体が転倒する可能性はかなり低い。バイクは運転操作を誤れば、ほぼ確実に転倒する。リスクが高い。そのリスクの高い乗り物を御しているということが乗るものに深い自尊心と達成感を与えるのだろう。

またバイクは「自然と一体」でもある。通常自動車の場合、窓を閉めて運転すると車内の空気は動かない。車内は外界から隔離されている。この状態で走行しながら自然を肌で感じることは難しい。一方バイクの場合、外界と自身をさえぎるものが、衣類とヘルメットを置いて他にない。走行によって生じる風の抵抗をほぼすべて自分の体で受け止めることになる。ここに快感がある。

幼い頃を思い出して欲しい。小学校の下校時刻が台風上陸の時刻と重なったために、暴風雨の中を雨靴をずぶぬれにしながら帰った記憶は誰にしもあろう。あの時、正面から顔に向かって吹き付ける風雨を、傘を閉じてわざとまともに受けるような奇行に走ったことはなかったか?私たちは、平時には自然の力を制御することに躍起になる一方、もう一方では、自然の猛威に直面し翻弄されることに、興奮を覚える性質をも兼ね備えている。私たちが持つこの本質的な二面性の片側を、バイクは解放してくれる。

自動車の場合、窓を開けて運転するとわずかにこの感覚を味わうことができる。またコンバーチブルの場合には、この感覚はかなりバイクに近いのではないかと推察する。しかしここでもまた、「人車一体」の原則により、身体感覚の観点からバイクに優位性があると私自身は感じる。

だから何だ?私はこの筆舌に尽くしがたい快楽を、あなたも味わってみませんか?と読者のあなたに問いかけたかった。まる。

(English version is coming soon!)


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