Monday, April 6, 2026

三春滝桜お花見ラン/Cherry Blossom 三春滝桜お花見ラン/Sakura Run 2026






福島県は、三春の滝桜を見てきた。綺麗だった。

福島へは当初の計画通りバイクで行った
夜中の2時に千葉の住まいを後にし、
途中PA&SAで小休止をとりながら、
霧雨の中を北上すること約5時間半、
郡山中央スマートICから4㌔にある開成山公園傍の、
ラン友Mさんの住まいへ7時半に到着した。
運転用の衣類を脱ぎランニングギアを羽織ると、
Mさんのご友人が迎えに来るまでに時間があったので、
朝露残る開成山公園をウォームアップに一周した。
公園内は快活な地元の老若男女で溢れていて、
公園の輪郭に沿って縫う遊歩道の上を、元気溌剌の少年少女達が、
前を走るお父さんやお母さんの背中を追い駆けて欣喜雀躍とする姿が
愉快に眺められた。
ウォームアップを終えてMさんの住まいへ戻るのとほぼ同時に、
Mさんのお友達のMomochiさんが車で到着した。
Mさんと共に早速Momochiさんの車に乗り込むと、
今回の花見ランに参加する他のメンバーとの待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせ場所まではものの5分で到着した。
待ち合わせ場所にはイベントの主催者、ランクラブのK隊長が既に到着されており、
新参者の自分は挨拶かたがた同行が叶ったことへの喜びと謝意を伝えた。
さらにそこへMさんのご友人のBoppoさんと仙台から見えられた
Seigoさん、Nakajiさん、Kosekiさんの3名が加わり、
合計8名となったランニングチームは、日本屈指の観光名所、
三春の滝桜を目指した。
郡山市街の標高と、滝桜の標高差は50㍍程度。三春の滝桜の方が若干標高が高い程度。
にも拘らず、目的地への道のりは、その風光明媚とは裏腹に、幾多の上り下りを含む過酷な行程だった。
しかし途中には、コンビニエンスストアへの数回の立ち寄りと、
味わい深い神社での小休止などが、リーダーであるK隊長によって絶妙に計画されており、
急な傾斜による脚への影響やエネルギーの消耗に伴う空腹などの、
走ることにまつわるくさぐさのストレスは、気づくと消える春靄(しゅんあい)のように、
強く意識される前に心から消えた。
途中立ち寄った三春ダムの壮観は筆舌に尽くしがたかったが、
目的地に近づくごとにその数を増す通り沿いの染井吉野が、
花見には時期尚早であることを、K隊長はじめ他の参加者も少し残念がっていて、
よもや大本命の滝桜までもが、壮麗を愛でるには時期まだ早しとなりはしないかと、
多少の不安を皆が感じていなくはなかったから、
遂に滝桜の薄紅が皆の視界に入った瞬間の安堵と歓喜は、とても言葉では言い表せなかった。
滝桜では、思い出の美しさを写真に収め、休憩所に腰を下ろして売店で買い求めた軽食に舌鼓を打ちながら皆と談笑した。
復路では、参加者が飽きぬように別のルートが用意されていて、
行く先々で目にする見事な枝ぶりの幾多の桜に、参加者のMomochiさんが、はとバスガイド顔負けのユーモラスな解説を提供し、
皆の心を癒した。
郡山市街の出発点と三春の滝桜の間には、私の記憶の範囲でも、最低3つの丘があり、
往路復路と合わせると合計6つの丘を越えることになる。
行きはよいよい帰りは恐いと諺にあるが、往路で既に10㌔以上走っていた足には、
復路の坂は試練となった。
そんなことだから、遂に出発点の駐車場がある遊戯施設の看板が視界に入った時の、
ゴール到着への期待感の高まりと、遂にたどり着いた時に歓喜には、また格別のものがあった。
他の参加者のガーミンの精度により走行距離はおおよそ24~26㌔の間だったようである。
2月の青梅マラソン以来、走っても4~7㌔前後だった自分には、久しぶりのロングランだったが、
K隊長の絶妙なペース配分のお陰で、無事完遂できた。
私は市民ランナーとしてスタミナが無い方ではないが、本日参加のメンバーの皆さんの
スタミナと安定感には感嘆した。
聞けば私以外の参加者は、ほぼ全員ウルトラマラソン経験者で、
大会参加歴のないMさんも3月の月間走行距離が340㌔だという。
今思えば今日の自分は、金糸が3~4本入った黒帯の猛者に混ざって、
拳の握り方から学びなおす白帯の道場生のような存在だったと思う。
初めから最後まで同じフォームで同じペースでじんわりと、しかし安定的に走り続ける
ウルトラマラソナーとの三春滝桜お花見ランから得たインスピレーションは計り知れない。
さて、花見ラン完遂の後には、地元の名店で蕎麦と天丼に舌鼓を打った。
老いた内臓に、かくも立派な食力がいまだに残っていることに驚かされるほど、
大盛の蕎麦と大海老天が3つものった天丼を、まるでわんこそばの蕎麦をさらりと攫(さら)うように
ぺろりと平らげてしまった。
食後男性軍は湯へ浸かりに行ったが、Mさんのお家に荷物を置かせてもらっていた私は、
丁重に辞退しそのまま帰途へ着いた。
帰りは往路とは違う磐越道~常磐道ルートで自宅を目指した。
同じルートは退屈だし、深夜の運転には少しでも集中力を必要とする要素がある方が、
安全運転に資すると思ったからだ。
しかし磐越道へ入るやいなや、経験したことの無いような睡魔に襲われ、安全運転の継続に黄色信号が点滅した。
大声で歌を歌ったり、強くニーグリップをして筋肉への血流を高めようとしたが無理で、
思わず路肩に駐車しようかと思ったが、三春SAまで数キロという表示が見えたので、
最後の力を振り絞ってバイクを走らせた。
三春SAの駐車スペースでバイクのエンジンを切った時の安堵は言葉にできなかった。
高速休憩時の仮眠を想定してキャンプ用のマットを家から持参していたので、
広い空き地を見つけると、マットに空気を入れてふかふかにすると、
枯れ草の上に敷いてその上に横たわり、気づくと寝落ちしていた。
目が覚めたのは陽の落ちた夕暮れ時だった。時計を見ると3時間は経っていた。
短くも眠りは深かったようで、以降の走行中意識は明晰を極め、以降運転継続を巡る不安は払しょくされ、
深夜前、無事自宅に帰還した。
帰宅するとすぐ熱い風呂に入り、寝間着に着替え布団へ入ると一瞬で寝落ちした。・・・
次目を覚ました時、就寝から12時間が経過していた。まる。
I went to Fukushima to see Miharu’s Takizakura. It was beautiful.
As planned, I rode my motorcycle there.
I left my home in Chiba at 2 a.m.
As I took short breaks at parking and service areas along the way,
I rode north through light mist for about five and a half hours.
At 7:30, I arrived at the home of my running friend M-san, near Kaiseizan Park, about four kilometers from Koriyama-Chuo Smart IC.
I changed out of my riding clothes and into running gear.
Since we had some time before M-san’s friend came to pick us up,
M-san and I jogged one easy lap around Kaiseizan Park, still silvered with morning dew.
The park was lively with locals of all ages.
Along the path that traces its edges, bright-eyed children ran after their fathers and mothers,
laughing as they tried to catch up.
It was a joyful sight.
Just as I returned to M-san’s house, Momochi-san arrived by car.
M-san and I got in, and we headed to the meeting point for the other runners joining the cherry blossom run.
We arrived in five minutes.
The organizer, Captain K of the running club, was already there.
As a newcomer, I greeted him and expressed my gratitude for being allowed to join.
Soon Boppo-san, another friend of M-san, and three runners from Sendai—Seigo-san, Nakaji-san, and Koseki-san—arrived.
With eight of us in total, we set off toward one of Japan’s most celebrated sights: Miharu’s Takizakura.
The difference in elevation between Koriyama and Takizakura is only about fifty meters.
Yet the road, despite its peaceful scenery, rose and fell again and again.
It was more demanding than we expected.
Still, Captain K had planned the route with care.
We stopped at convenience stores from time to time,
and took a quiet break at a small, weathered shrine.
The strain in our legs and the slow hunger from the hills
faded before they could take hold—
like spring haze dissolving in the air.
The view at Miharu Dam along the way was magnificent beyond words.
But as we ran, we noticed that the Somei Yoshino trees lining the streets were not yet in full bloom.
Some of us wondered—
what if even Takizakura was still too early?
Then, at last, its pale pink came into view.
The relief and joy we felt in that moment cannot be put into words.
At Takizakura, we took photos to hold the memory.
We sat at a rest area, ate light snacks from a nearby stand,
and talked and laughed together.
On the way back, a different route awaited us.
Everywhere we looked, splendid cherry trees stretched their branches wide.
Momochi-san offered cheerful, almost tour-guide-like commentary,
and our tired hearts felt lighter.
Between Koriyama and Takizakura lie at least three hills.
Going there and back meant crossing six.
As the saying goes, “The going is easy, the return is hard.”
After more than ten kilometers already in our legs,
the hills on the way back felt like a true test.
So when the sign of the amusement facility near our starting parking lot finally came into view,
our anticipation swelled.
Reaching the goal brought a special kind of joy.
According to others’ Garmin watches, we had run roughly 24 to 26 kilometers.
Since the Ome Marathon in February, I had been running only four to seven kilometers at a time.
This was my first long run in a while.
Thanks to Captain K’s perfect pacing, I finished safely.
I consider myself a runner with decent stamina.
Yet I was deeply impressed by the strength and steadiness of the others.
Almost everyone had experience in ultramarathons.
Even M, who has never raced, had run 340 kilometers in March alone.
Looking back, I felt like a white belt among black belts threaded with gold—
a novice relearning how to make a fist.
To run beside ultramarathoners who kept the same form and pace from start to finish,
steady and unwavering,
gave me inspiration beyond measure.
After the run, we enjoyed soba and tempura at a well-known local restaurant.
I surprised myself by finishing a large serving of soba
and a bowl topped with three giant shrimp tempura—
as easily as if I were eating bite-sized noodles.
The men went to a bath afterward,
but since my luggage was at M-san’s house, I politely declined and began my journey home.
This time I took a different route—the Ban-etsu Expressway to the Joban Expressway.
Driving the same road felt dull,
and I thought a little variety would help me stay alert on the late-night ride.
But as soon as I entered the Ban-etsu Expressway,
an overwhelming wave of sleepiness struck me.
I sang loudly.
I tightened my knees against the bike to stir my blood.
Nothing worked.
Just as I considered pulling over, I saw a sign: Miharu Service Area, a few kilometers ahead.
Gathering my last strength, I rode on.
The relief I felt when I turned off the engine at Miharu Service Area was indescribable.
I had brought a camping mat for this very reason.
Finding an open patch of ground, I inflated it, laid it over the dry grass,
and lay down.
Before I knew it, I was asleep.
I woke at dusk.
Three hours had passed.
The sleep had been short but deep.
After that, my mind was clear, my worries gone,
and before midnight I returned home safely.
I took a hot bath, changed into pajamas,
and fell asleep the moment I slipped into bed.
When I woke again, twelve hours had p

Friday, January 2, 2026

第102回箱根駅伝:レースレポート

2026年1月2日(金)、第102回箱根駅伝の往路が実施された。朝8時の号砲に合わせ早起きする気満々で前夜目覚まし時計をセットした自分だが、深夜に実施した90分ジョグの祟(タタ)りにより、翌朝堂々の寝坊。起床時すでにレースは2区の序盤に進んでいた。

レースは、大会前から全国紙で注目されていた国学院大、中央大、早稲田大が予想通り序盤を支配していたが、前回王者の青山学院は1区の思わぬハイペースで出遅れた。一方、留学生ヴィクター・キムタイ選手の区間新となる力走により、伏兵城西大学が戸塚中継所を首位で通過するという予想外の展開にレースは沸いた。

その後、3区~4区にかけて目まぐるしい順位変動があり、平成の常勝軍団駒澤大学が徐々に首位奪還の射程圏内に順位を上げる中、中央と早稲田は前半のリードを着実に守り、序盤話題を作った城西と全日本駅伝の覇者国学院も、復路に希望をつなぐ力走を続けた。

レースが動いたのは、5区である。トップと1分12秒差でタスキを受けた早稲田の工藤慎作選手は5区のスペシャリスト。箱根山中での首位奪還が期待される。

一方、ディフェンディングチャンピオンの青山学院平松享祐選手が、主将黒田朝日選手へ襷を繋いだのは、トップ中央が小田原を発ってから3分25秒後。名将原晋監督の大会前のインタビューでのコメント「2分の差なら黒田による逆転が可能」を考慮すると、黒田選手の背負ったタイム差が箱根山中で完全に縮まるのは現実的ではないように思われた。しかしドラマは起こるのである・・・

箱根の5区は、最初の5キロはゆるやかな上りで始まり、その後箱根湯本駅を過ぎたあたりから、本格的な山登りが始まると言われている。早稲田の5区、山登りのスペシャリスト工藤慎作選手が、トップ中央大の柴田大地選手をとらえたのは9.79㌔付近。工藤選手は並走を許すことなく、その後着実にリードを広げ、解説の早稲田大OB渡辺康幸さんが「解説している11年間で5区で母校が首位に立つのは初めてだ」と感動に声を詰まらせた。この時後方では、青山学院の黒田朝日選手が、工藤選手をさらに上回るハイペースで猛追を始めていたことは知らずに・・・

その後テレビカメラは、大会屈伸の応援スポット小涌園前を後方の選手たちが通過する様子を順に紹介し、レースはしばらく落ち着いたように見られた。

動きがあったのは15㌔過ぎである。トップ早稲田を写す1号車へマイクが渡った際、初めてレポーターが、長い直線で2位黒田選手の姿が視界に入ったことへ言及した。そして残り4.8㌔、芦之湯の下り、給水ポイントが始まる手前、ついに追走する黒田朝日選手の姿をカメラが初めて捉えた!先頭との差は15秒。国道1号線最高点の通過後に、黒田選手が工藤選手を捉えることが現実味を帯びてきた。

残り3㌔、リードする工藤選手が歯を食いしばり黒田選手の猛追を凌ぐ。しかし残り1.55㌔(19.25㌔地点)で遂に力尽き首位の座を明け渡すこととなった。

終われば、新記録による青山学院大の往路優勝。黒田朝日選手は、前人未到の1時間7分17秒で区間新記録を更新した。その18秒後、早稲田の工藤慎作選手も、過去の区間記録に迫る1時間9分台の成績でフィニッシュした。

さて、今年のテレビ放映でいくつか私の関心を引いたことがあるので述べる。

一つは女性のレポーターの活躍だ。随所で女性レポーターによるレポートが聞かれて時代を感じた。

またゲストコメンテーターの篠原倖太朗選手も印象的だった。コメントがわかりやすく爽やかで気の利いた語り口が印象的だった。スポーツ選手は必ずしも解説が得意な人ばかりではない。しかし篠原選手の話し方は聞きやすく好感度が高かった。彼は私の住まいがある千葉県の出身。私がスイカロードレースを走る富里市の高校を卒業しており常々親近感を覚えていた。元日にニューイヤー駅伝を走り疲労はさこそと察するが、温泉卓球で一汗かいたくらいのフレッシュな様子でコメントをしていた。プロアスリートの回復力の速さに感嘆する。その篠原選手が「戸塚の壁」についてコメントを求められ「手で這って登りたいくらいキツい」という表現で斜度の急さを描写していた。解説の瀬古利彦さんが珍しく共感のコメントを添えていたところ見ると、「手で這って登りたいくらいキツい」という表現自体がエース区間を走った猛者達の間で語り継がれる常套句(cliche)なのだろうと、今思えば想像がつくが、それを篠原選手は、滑らかな口調で淀みなく話すので、話し手篠原選手自身のもともとの言葉遣いの流暢さと自然に感じられた。今後実業団選手として成績を残して引退したら、解説者にいいのではと個人的に思った。

以上、第102回箱根駅伝:レースレポートでした。

明朝の復路は、寝坊しないで観たいと思う。2位早稲田は序盤に猛追し首位青山学院との差を一気に詰められるか?はたまた6区に驚愕の下りのスペシャリストを例年擁する青山学院が、さらにリードを広げて独走態勢に入るのか?トップから3分以内に居る中央、国学院、城西は、トップ争いに絡むことはできるのか?シード権争いは?見どころは絶えない。まる。